会長挨拶
松原 仁(公立はこだて未来大学)
大内東先生の後を受けて2代目の会長に就任しました。会員の皆様方のご協力を得て観光情報学会を盛り立てることに微力ながら貢献できればうれしいと思います。よろしくお願いいたします。
観光が以前からの趣味だったのが高じて研究の対象にするようになったので、自己紹介を兼ねて観光と自分とのこれまでの関わりから述べさせてもらいたいと思います。生まれは1959年(昭和34年)の東京です。東京といっても練馬区で当時は畑ばかりの田舎だったので、武蔵野の面影がまだ色濃く残っていました。祖父祖母が遠くに住んでいれば帰省が旅行になったのでしょうが、そういうことがなかったので、毎年の夏休みに家族そろって伊豆や千葉に泊りがけで海水浴に行ったのが子供の頃の旅行の記憶です。例外は小学校6年生のときに大阪万博に家族で行ったことでした。新幹線に初めて乗って興奮したのを覚えています。高校生になると仲のいい同級生で夏休みや春休みに国内旅行をするようになりました。当時から旅行というものが好きだったのだと思います。
大学生になるとあこがれの地であった北海道に一人旅行に行くようになりました。当時はユースホステルが北海道の各地にあったので、それらを泊り歩いて2週間ほどの旅行を何度もしました。3月に北海道に行くときは寒さ対策で初めてダウンジャケットを買いました。浜小清水(網走の近く)で駅とユースホステルの移動のときに吹雪に巻き込まれて道に迷ったのはいい経験になりました(本人としては遭難したつもりだったのですが、地元の人にそう言ったら笑い飛ばされました)。東京から北海道に安く行くには周遊切符を買うのが定番でした。上野駅を夜出る急行八甲田に乗って約半日で早朝に青森駅に着きます。青函連絡船で函館に着くのが昼ごろでした。そのまま特急に乗れば東京を出てからほぼ一日後に札幌まで辿り着くことができました。函館で途中下車して函館山や立待岬を観光したこともあります(当時は将来に函館に住むことになろうとは夢にも思っていませんでした)。時間だけはあったので北海道内をほぼくまなくJRとバスを乗りついで回りました。北海道はどこも好きですが、あえて言えば道東の尾岱沼と野付半島のあたりが大好きです。北海道以外の方はわからないと思いますが、知床半島の南にある小さな半島が野付半島です。函館から遠く、また運転をしないこともあって、函館に住むようになってもめったに行けないのが残念です。函館の大学に赴任することに決めたのも北海道を何度も観光していて好きだったことが理由の一つです。
そうして北海道を中心にかなり旅行していたのですが、大学を卒業するまで飛行機には乗ったことがありませんでした。国内への関心が強くお金もなかったので海外への旅行を考えませんでしたし、時間はあったので北海道も毎回急行八甲田で行っていました。大学院生になって当時の仲のいい友人と毎年春休みなどに国内旅行に行くようになりました。かなり割のいいアルバイトをしていたこともあって、その頃の北海道旅行で初めて飛行機に乗りました。函館に来てから毎年100回以上飛行機に乗る生活をしていますが、飛行機に初めて乗ったのは同世代の中でも遅いほうだったと思います。
外国に初めて旅行をしたのは電子技術総合研究所(現産業技術総合研究所)に就職して最初の研究成果を投稿した国際会議の出張でした。最初は中国の北京が会場の予定だったのでそのつもりで準備していたのですが、急に会場がイタリアのローマに変更になって驚きました。ポンペイに足を延ばすなど観光も楽しんで味をしめたこともあり、積極的に英語の論文を書いて海外の学会に出張するようになりました。しかし偶然アメリカに行く機会がなく、初めてアメリカに行ったのは1年間スタンフォード大学に研究員として滞在したときでした。電子技術総合研究所は研究所で学校よりは海外出張が容易でした(授業のノルマがなかったためです)。一番行っていた十年間は年に5,6回は学会出張で海外に行っていました。いまは大学勤務で授業があることと年を取って長距離移動の疲れが残るようになったことで海外旅行の回数は減り気味です。これまでのべ100回前後の海外旅行のうちプライベートなのは2回だけです(ちなみに韓国とハワイです)。
2000年に北海道観光の縁もあってはこだて未来大学に赴任し、函館に住むようになりました。五稜郭公園という函館でも有数の観光地のすぐそばに自宅があるという興味深い状態を楽しんでいます。地元の公立大学ということで当然ながら函館の産業振興に貢献することが期待されています。函館の現在の主要産業が観光ということで、趣味であった観光を研究対象(すなわち仕事)として見直すようになりました。その後2003年に観光情報学会が設立されることになり、それに伴ってはこだて観光情報学研究会を立ち上げて活動を始めました。心がけているのは観光の対象を実際に体験することです。家族サービスを兼ねて函館の多くの宿に泊まりました。自分としては函館の観光に関わる以上は当然の行為だったのですが、函館の観光に関わっている人のほとんどが実際に泊ったことがないのに驚きました。温泉にはいったり食事をしたりするだけです。それでは宿のことが半分もわかりません。車に乗れば十分や二十分で自宅に帰って寝られるのに他の宿に泊るのは確かに非経済的です。細かいことですが、出張費も出ません。自分で金を払って泊ることが必要です。そうでなければ費用対効果がわかりません。実際に泊ることがやはり望ましいと思います。
一方で函館に住むようになって国内の泊りの出張が格段に増えました。東京が圧倒的に多いですが、学会出張で全国を飛び回っています。2009年には47都道府県の全部を制覇しました(すべての都道府県で1泊以上したということです)。観光を研究対象にするようになってから宿や観光地を以前より気にするようになりました。函館に比べてどうか、北海道に比べてどうか、という観点で見るようにしています。周りから仕事で観光できてうらやましいと言われることもあるのですが、どうしても評価しながらの観光になってしまうので、観光を素直に楽しめなくなったということでもあります。このように観光と付き合ってきて、去年2009年から観光情報学会の会長を務めさせていただくことになりました。いま観光が抱えている問題は数多くありますが、函館を例にとっていくつかの問題を取り上げてみたいと思います。
函館はアンケートを取ると観光地として非常に評判が高いです。2009年には日本で最も魅力的な町に選ばれました。実際に観光に来た人の満足度を調べても函館はトップクラスです。日本でも有数の観光地の一つでしょう。しかし、最近は毎年函館の観光客の入込数が数パーセントずつ減っています。最盛のときは550万人程度だったのですが、いまは450万人程度までになってしまいました。人気はあるのに人は来てくれないのです。それはなぜでしょう。函館の観光関係者にとっては大問題です。人気があるのはとても喜ばしいことですが、それだけでは産業としては困ります。実際に来て(お金を落として)もらわないといけません。函館はイメージ先行の観光地になってしまったのでしょうか。「函館は遠くにありて思うもの」なのでしょうか。最も魅力的な町に選ばれてから函館ではこのギャップの原因はどこにあるのか必死で考えています。それがわからないと対策を立てられないからです。いろいろな人や組織が意見を出していますが、これまでにこれだという回答は得られていません。
これは函館の例ですが、どこの観光地も同様の問題を抱える可能性はあると思います(あるいはすでに抱えていると思います)。観光地の人気とはどういうものなのか。実際に観光することと好きであることはどう違うのか。観光情報学会の研究対象とすべきテーマだと思います。
同時に気になるのは「入込数」という概念です。もちろん正確な人数を数えられるはずがないので、さまざまなデータ(飛行機搭乗数、JR乗降客、幹線道路の車の数、ホテルの宿泊客数、主な観光スポットの入場者数など)から計算式を定めて概算を計算して入込数としています。なぜ函館は人気があるのに入込数が減っているのか考えるために入込数について調べてみました。まず、計算式が公開されていません。ですから、どのようにして入込数の数字が出てきたのかがわかりません。計算式が妥当な見積もりになっているかどうかも検証できません。恣意性がはいっていないのか(観光担当の役人は入込数が減るのはうれしくないはずです)も確認できません。次に、各都市で計算式が異なります。ですから、異なる二都市間たとえば函館と札幌の入込数の多い少ないを議論するのは意味がないということになります。計算式が長年変更ないとすれば、同じ都市で以前の入込数と今年の入込数を比較することにはそれなりに意味があります。入込数は根拠が薄いデータであるにもかかわらず、函館を含めた多くの観光都市で観光の状況を示す指標として重くとらえられています。マスコミにも入込数の値があたかも信頼性が高いように取り上げられています。
入込数は観光の状況を示す指標としてふさわしいのでしょうか。入込数を使うとすれば計算式を公開してもっと正確なものに直す努力をすべきではないでしょうか。同じ概数であれば、観光客が落とした金額の方がもっとふさわしいのではないのでしょうか。観光情報学会の有力な研究テーマだと思います。
函館も最近は海外からの観光客の割合が増加しています。実数として日本人が減って外国人が増えているので割合が増えるのは当然です。特に韓国、台湾、香港、中国(本土)からの観光客が多いです。今後もこの傾向は続くでしょう。日本の経済不況はいつか改善すると期待されます(そうでないと国民として困ります)が、日本の人口減の傾向はしばらく続くものと予想されます。また少子高齢化の傾向も続くでしょう。比較的時間とお金が自由になる団塊の世代を観光のターゲットにするという戦略はいま現在は有効と思われます(函館でもやっています)が、あくまで短期的なもので、団塊の世代が高齢化していけば期待できません。日本人の数が減る以上、中長期的にはかならず日本人の観光客の数が減っていきます(入込数の議論からすれば日本人観光客が落とす金額が減っていきます)。やはり期待できるのは外国人観光客ということになります。日本としてはアジアの人々、特に今後は中国(本土)の人々が有力な候補になるでしょう。
日本政府も観光庁が率先しVisit JAPANキャンペーンと称して外国人観光客を増やすための活動を進めています。日本として外国人観光客は大歓迎ということです。もちろん北海道も函館も大歓迎と言っています。しかし実際の観光の現場はどうなのでしょう。かなり心もとないと言わざるをえません。数年前に函館で国際会議をやったことがあります。さまざまな国から約400人の外国人が函館を訪れて約一週間滞在しました。英語の話せるボランティアの方が彼らを観光スポットに案内してくれるなど個別にはすばらしい対応があったのですが、全般的な対応は厳しいものがありました。地元の旅行エージェントの担当者が英語の電子メールに不慣れで外国で読めないメールを世界中にばらまいてしまったということがありました。地元の宿も英語が通じる人が少なく、飲食店も英語のメニューはなく従業員のほとんどは英語を話せませんでした。実は英語が話せないことはそうたいした問題ではないのです。英語ができないために引けてしまって外国人とコミュニケーションを取ろうとしないことが問題なのです。ある飲食店では外国人グループの客に従業員が近づこうとしない(注文も取りに行かない)という場を目にしました。ほおっておいてあきらめて帰ってくれるのを待っているという様子でした(仕方ないので店に居合わせたわれわれ日本人の参加者がボランティアで通訳をしました)。学会の外国人参加者は、函館自体は魅力的な都市だが外国人観光客にまったく対応できていないという感想を言って帰っていきました。これが外国人観光客を大幅に増やしたいと言っている国の有数な観光都市の現状なのです。外国人観光客は通訳付きの団体で来てほしい、バスに乗って団体で移動をして不規則行動はしないでほしい、お金は落としてほしいが個人客として宿泊したり飲食店に行ったりするのは避けてほしい、というのが観光関係者の本音なのでしょう。外国人観光客をもてなすという気持ちが根本的に欠けています。件の飲食店の従業員はたとえ英語が苦手でもその気さえあれば身振り手振りで注文を受けることはできたはずです。
気持ちが欠けているという言い方をすると個人の資質の問題と感じられるかもしれませんが、そうではないのです。観光客をもてなす気持ちのことをおもてなしとかホスピタリティという表現で語ることがあります。確かにおもてなしあるいはホスピタリティが観光にとって非常に重要です。しかしそれはあの人はおもてなしがうまいとか下手だとかの個人の資質ではなく、システムとして関係者全員がおもてなしできるようになっていなければいけません。件の飲食店の例でいえば、従業員に偶然物怖じしない性格の人がいて外国人に注文を取りに行ければ済むという問題ではなく、従業員全員が外国人の来訪にも動揺せずに対応できるようになっていないといけないのです。製造業が「もの」を扱うのに対してサービスは「こと」を扱うので、製造業で成功している品質管理という考え方をサービスに導入するのはそう簡単ではありません。情報の分野では少し前からサービス工学という研究領域が盛んになりつつあります。サービスをシステムとして実現するための方法論を確立することを目指すものです。顧客のニーズは何かを分析し、そのニーズを満足するためにどういうサービスを提供したらいいかを考え、そのサービスを実践するシステムを実装し、現実にサービスを提供してそのフィードバックを得て改良を図る、という過程からなります。観光情報学会はサービス工学を観光に適用する研究の場としての存在価値があると思います。
また、外国人観光客へ対応のコストの削減に情報技術を活用するのは有効と思われます。日本は外国語に苦手意識を持っている人が少なくありません。宿や飲食店のホームページの情報を日本人が外国語に翻訳するのは大変です。外国人やプロに翻訳を頼むと高くつきます。機械翻訳の技術を使えば観光地、飲食店あるいは交通手段などの情報は簡単に外国語にできます。コンピュータでいい翻訳をするのはむずかしいですが、最低限伝わる翻訳であればある程度は可能ですし、それだけでも十分に役に立ちます。観光情報は固有名詞(地名、観光施設名、宿の名前、飲食店の名前など)のデータベースを充実させておけばむしろ翻訳しやすい方かもしれません。観光情報学会としてぜひ外国語対応に貢献できればいいと思います。
以上取り上げたものは例にすぎませんが、観光におけるさまざまな重要な問題を考える場として観光情報学会の活動を充実させるために頑張っていきたいと思っています。やるべきことは山積しています。たとえば、観光情報に関する研究発表が情報処理学会など他の学会に分散してしまっているのが現状なので、観光情報学会を受け皿として確立させるための方策を立てる必要があります。最後に繰り返しになりますが皆様方のご協力をお願いいたします。
